体が語ることに耳を澄ます。

ボディワーク 体が語ることに耳をすます

 

像として体を見る

 

6/13のナチュラルテーブルさんの「セラピストクロストーク」のときに、「像的な記憶」というようなことを口走りました。

あとで思い出しましたが… 自分でもなるほどと思いました。

ボディワークのセッションのときも、像的にクライアントを見ます。つまり焦点を定めることなく、全体的にクライアントを見ます。

その反対側にあるのは分析的な見方です。例えば「立ちあがり痛だから腰椎5番だな」というように、自分の持っている情報に、クライアントの体を当てはめようとする見方です。

もちろん、それはそれで役に立つのですが、同時に全体的な視点、つまり「像的な見方(記憶)」を持たないと、何かを見落とします。

この辺りはエサレンマッサージのディーンさんも「ソフトアイ」という言い方で表現していました。
像的な見方とは、体が語ることに耳を澄ますことです。

6/13のクロストークの時には子ども時代の記憶という切り口で話が進みました。

子どもは体験を分析することなく、全体的(つまり全体像として)体験するので、記憶が深い層に留まるのではないかということです。

ではでは。

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